2020年11月13日

菅原琢「政権に関与してこそ護憲派」『朝日新聞』2014年7月31日朝刊


 集団的自衛権に関しては、朝日新聞をはじめ各紙とも有識者の意見を並べ、読者に参考材料を提供してきた。賛成、反対問わず、その主張の仕方は多様で、そういう論理もあるのかと感心することも多い。

 今の日本国憲法は、数ある法律に比べると平易な言葉で書かれているが、その分、その意味は明確でないことがある。むしろ、これは解釈の余地を設けているものである。集団的自衛権に関しても、さまざまな立場の法律家が、この解釈の幅をめぐり論陣を張っていた。

 ただし、法律家の主張や議論は、実際に適用される解釈とは異なることがあると法学部では教わる。憲法の教科書を読めば、多くの学者間で正しい解釈だとされる通説とは別に、裁判所が示す判例の説が存在し、両者がしばしば異なり、対立するということを知る。主に最高裁が示した法律の解釈が、司法や政治・行政の場で意味を持つのである。



 その最高裁は、ときに疑問を抱かせる判断を行う。たとえば一票の格差に関する訴訟では、かつて合憲とされる場合が多く、選挙の無効が判示されたことはない。農村部が人口に比してかなり多くの代表を送ることを肯定することは、自民党を利するものと非難された。

 もっとも、最高裁がこのような判断をするのは、制度を見れば別に不思議ではない。最高裁の裁判官は内閣が決定するものであり、言うまでもなく長年この立場にあったのが自民党である。

 それでは、今回の解釈変更についてはどうだろうか。6月7日付の本紙朝刊で憲法学者の木村草太氏は、解釈変更には「訴訟リスクが待ち受けている」と指摘した。報道によればすでに訴訟の準備をしている団体があるとされる。安倍政権下で任命された裁判官・山本庸幸判事は、今回の解釈変更に疑義を呈していた。そして、15人の裁判官のうち9人が民主党政権時代に任命されている。

 もちろん、各裁判官がどのように判断するかは不明である。仮に全員が現行条文での集団的自衛権の行使を認めない立場なら、解釈を確定するために8人の裁判官を交代させる必要がある。2017年3月までに8人が定年の70歳を迎え、内閣は後任を送ることになる。自民党はあと1回の衆院選に勝利すれば、今回の決定に対する司法のお墨付きを確実にすることが可能となる。

 このように述べると、これを政権党の横暴と捉える人も多いだろう。しかし、これらはまさに憲法に規定された民主的手続きの帰結である。選挙で勝利して形成された政権は、時代の変化や自身の好みに応じて条文の解釈を変更できる。複数回の選挙に勝てばそれを追認する最高裁をつくることもできる。安倍自民党はすでに集団的自衛権についてマニフェストや政策集に記載して国政選挙に勝利し、公明党との協議を経て、閣議決定を行った。あとは好ましい裁判官を任命し続けながら、次の選挙も勝てばよいというわけである。

 以上は、憲法が学説や権威によってではなく、民主主義により守られ、作られていることを意味する。したがって、集団的自衛権の行使を認める解釈変更を覆したいならば、選挙で支持を得て政権に入る必要がある。さらに最高裁に同調者を送り込めば確実である。それができないとすれば、その勢力に根本的に支持がないか、戦略が誤っているかである。

 選挙制度が少数派に著しく不利であるのは言い訳にしかならない。少数派なりの戦略で政権に与し、徐々に変えていけばよい。憲法が規定する民主的手続きの多くは内閣を主語とし、護憲・改憲のみならず、何事を実現するにも政権に与していくことを要求している。妥協を嫌い政権から逃げていては、護憲も何も絵に描いた餅でしかない。票と議席を得ておいて、支持者に利益を還元しないのは、憲政では邪道なのである。



原題(自分がつけて送った見出し):政権なくして護憲なし
 紙面では縦書きです。

解説?
 朝日新聞論壇委員(政治担当)をしていたときに委員持ち回りで書いていた「あすを探る」というコラムで書いた文章です。下記記事に関連して言及してくださっていた方がいらっしゃいましたので、思い出してアップしてみました。

学術会議任命拒否 最高裁でも人事圧力 - 毎日新聞
posted by suga at 10:44 | 懐かしい文章