2019年07月16日

菅原琢「民意は単純ではない」『朝日新聞』2014年2月26日朝刊17面


 選挙結果が報じられる際、新聞をはじめとするメディアには、しばしば民意という言葉が踊る。有権者の思いや意見を代弁しているという自負があるのだろう。だが、選挙に意味を見出すのはそれほど簡単なことではない。先の東京都知事選を例に考えてみたい。

 この選挙では、田母神候補が4位に入ったことが一部メィアの注目を集めた。たとえば本紙では、「田母神氏60万票の意味」と題する特集記事を組んでいる(一一日2面)。この記事を読むと、若者を中心とした過激で「愛国的なネットユーザー」に支持を広げて大量得票した、というのが話の筋となっている。

 ただ、この記事を丁寧に読んでも、この説を支持する明確な根拠は書かれていない。同候補に投じた人々が、愛国的で過激な「ネット保守」と呼ぶべき人々だというデータは示されていないのである。

 むしろこの記事に登場する数字は、わざわざ取り上げることに疑問を投げかける。20代の24%が同候補に投票したとする出口調査結果は、投票率を勘案すれば、同候補に投じたのは20代有権者の10%もいなそうだというデータである。61万票という票数自体、東京都の有権者の6%に満たない。過去に同程度の得票数で落選した柿沢弘治、吉田万三、小池晃、松沢成文は、ここまで大きな扱いを受けていない。

 この記事に限らず、メディアでは田母神票=「過激な保守」という前提で論評が行われた。ここに読み違いがあると筆者は考えている。


 多くの有権者は、政治報道を細かく追っておらず、記憶もしていない。元航空幕僚長の名前を選挙前は知らなかった人が多くても不思議ではない。20代の多くは5年以上前に起きた「論文事件」を知らないだろう。

 一方、選挙期間中に一般の人々が目にする選挙ポスター、選挙公報、政見放送、そして新聞報道で、同候補は「過激な保守」に類する訴えをほとんど行っていなかった。ふだんの政治信条を知らない人がこうした媒体を見ても、同候補を「過激な保守」と認定しないだろう。

 だから、同候補が訴えた防災や指導力などに期待した人が多かったとしても不思議ではない。実は、さきの記事では「環境・防災」を重視する人が同候補に入れる傾向も示されている。だが、これは記事全体のトーンには生かされていなかった。結果に潜む「声なき声」を拾う努力を怠り、一部の大きな声に釣られた、あるいは自らの先入観に引きずられた記事のように読めたのである。

 われわれが選挙の際に採る行動の背後には、それぞれのストーリーがある。だから、候補者の主張と票数だけを見て、その数字の意味を表現することは難しく、危険でもある。

 この点では、メディアが選挙の「争点」を絞ることにも疑問を覚える。各人の問題意識は生活や人生に応じて異なるし、わずかな基準で判断する人も少ない。多様な要素を考慮しつつ、ベストの無い限られた選択肢から選ぶというのが選挙である。その集積が、数票から何千万票までのあらゆる選挙結果である。

 古くて新しい問題だが、結果の意味が明確でないというのは、選挙が有する当然の限界である。選挙は政治的決定そのものではなく、その中間地点に過ぎないのである。

 この前提に立つとき、メディアに求められるのは選挙とその結果の単純化ではない。選挙結果を民意と称して絶対化することでもない。社会の問題を掘り起し、政治の側に解決策を求め、有権者に多様な判断材料を提供するという作業を、選挙時に限らず継続することである。そのためであれば、選挙結果や世論調査を分析することはとても有益である。

 政界にあまり期待できない今、メディアがもう少し着実に、適切に、世論を読み解き、論じてくれればと切に願う。



原題(自分が送った見出し):同じ

 自分の原稿で(それしか例がなかったので仕方なく)引用した自分のコメントを見て、そういえば朝日でも似たようなことを書いた気がっ…てことで探したら出てきた記事が懐かしかったので載せておきます。今見てもテンプレに田母神とか代入したような内容ですね。違うものを代入した原稿がその書いてる原稿ってことで。

 この「明日をさぐる」シリーズは、朝日新聞論壇委員(政治担当)をしていたときに半年に1回持ち回りで独自記事を書いていて、そのうちの1回がこれでした。自分で気に入ってるのは「ゆるキャラは地域を救わない」ってタイトルだった記事とかです。これはまあそのうち。
posted by suga at 02:46 | 懐かしい文章